第四話:赤っ恥

 

 四月一七日、一時三六分。陽神高層マンション。

 

 満月の夜。

 月見をするために屋上に続く廊下を歩いている最中、予期しなかった侵入者の気配を感じた。素早く人払いの結界。魔力を込めた宝石の魔具を使用する。

一戦交えるなら奇襲に限るためだ。

術式展開がステレスの効果もある。中古の安物であるため、最新型と比べると二世代違うが、大抵の魔術師に気付かれない上、屋上付近の防音は完璧だ。もし、敵なら速やかに排除すればいい。

自分の住むマンションに、魔力を撒き散らして来た侵入者だ。よほどのバカか腕に自信がある者であろう。どちらにしても、身の程を教える必要がある。

 胸に掛かりそうな髪を三つ網にし、昔もらった赤い革ジャンにタイトスカートと、ショートブーツで防寒対策は完璧。そして、懐に洗礼儀によってエンチャント魔術効果を持つ短刀三本。

 懐にある短刀の柄を握り締めながら、ドアを開ける。緊張は無い。何時ものように敵は消去するだけだから。が、しかし、屋上に続くドアを開けると敵ではなく、月見の先客であった。それも、事も無げに恥ずかしい言葉を並べる青年だった。

満月を見上げ、全身に月光を浴びて、今この時の生を謳歌する詩人。

 今時めずらしい黒髪の青年の背中が見えた。上下黒のジャージで運動をした後なのか、髪が汗で濡れて月光が綺麗に照り返している。奇異な所は裸足だったが、本当に嬉しそうに月光を浴びている。その楽しみを分けて欲しいくらいに。

 だからかもしれない。私はその詩人の唄を終えるのを待ってから声を掛けた。行動と選択に自身すら怪訝に思う。大抵は一人になりたいこの時間にいる人間を傲慢に、邪険にするのが本来の私だからだ。

 

「そうなの? よかったね」

 

 声を掛けた瞬間、全身を硬直して凍りつくように止まってしまった。あぁ――――もしかして、失敗かもしれない。いつもの地が出たかもしれない。相手はこちらに振り向かずに小刻みに震えてもいる。

 

「あの? よかったら、隣いい?」

 

 取って付けたように言うが、彼はこちらを見ずにガチガチに首肯するのを見て、完全な失敗と確信した。

静謐に見下ろす満月に視線でもあるのか、とても息苦しい光の中で先に沈黙を破ったのは青年の方だった。屋上の床にあるシミでも数えているのか、目線を下ろしたままに呟いた。

 

「その――――」

 

「はい?」

 

「どこまで聴いていたの?」

 

「えっと、「何時の頃から」で――――」

 

「全部じゃん・・・・・・」

 

 言った瞬間に、彼をK.Oしてしまった。アッパーカットでダウンするように、膝をカクンと折る。なんとかよろめきながら床に両手をつける隣人。

最初から最後まで聞いていたと告白する前に、彼は察して崩れてしまった。

 

「その、ごめん。黙って聴いちゃってごめんなさい。でも、とても邪魔しちゃ悪いように思えて――――とっても良い事を言っているなって思ったから。本当のことだって思ったから」

 

 これは嘘ではないと自分に誓えるし、彼の独白を最後まで拝聴した理由だった。

静かに膝から折れてしまった彼の隣に、自然と腰を下ろし、満月を見上げる。確かにこれを普通だと思っちゃダメだ。今日昇った月は今日しか見られないから。

 ありがたい事なのに、普通だとか、何時までもあるとか、勘違いしてはいけない。そう思ったら、最後。普通は消えたときに初めて牙を剥き、届かない壁のような特別になる。

 

「綺麗だよね。綺麗なものを、当たり前だなんて、言っちゃ勿体無いね」

 

 感想を呟いて彼を見る。彼の顔を真正面から見て、さっきの詩人という表現は、まだ足り得ていないことに気付かされる。ショックを受けたと、言って良いかもしれない。

 温和さと無害を、平凡に固めた顔の平均さにも驚いたが、瞳はそれ以上に私の常識を大きく揺っている。波一つ立たない深い湖。その湖の奥で確かに息吹く、狂暴で凶悪な要素を持ち得ながらも、純水で曇り無い「何か」に魅せられた。

 その彼が、少し照れたように笑った。柔らかな微笑。反属性の要素を持つであろう、瞳の中にある「何か」ごと、微笑んだ。

魔術師を惹きこむ、禁忌や神秘という言葉を何故か連想させる彼の眼を、わたしは息を止めて見詰めていた。

 

「そう、思う?」

 

 沈黙の延長状のようなか細い彼の問いに、わたしは知らずに頷いた。自分でも驚くくらい力強い。

 

「もちろん」

 

知らずに微笑んでいた。ようやく呼吸を再開したのも束の間だった。

 

「そうか、ありがとう。嬉しいよ」

 

真心を込めた簡潔な礼。わたしは久しぶりに、誰かにお礼を言われたことに気付かされて、ああ、と心中で吐息が漏れた。――――こんなことも忘れていたと、実感させられた。彼の微笑はじんわりと頬に熱を持たせ、心の底まで浸透させる。そして、ふと、気付いた・・・・・・やられっ放しである。そんな天邪鬼な声が頭の片隅で囁かれた。このままじゃ危ないと思って、顔を満月に向ける。

やられたらやり返せ、が私の主義。そのポリシー通りに行くとすれば好感を持ったら、好感を持たさなければならない。私をどの辺りまで意識しているのか、知りたい。遠回しにまずは名前から。

 

「今夜の満月は綺麗ね?」

 

「そうだね・・・・・・」

 

言いながら青い月光に、彼は目を細めて見上げる。

 よしよし、ここからお互い自己紹介に持っていこう。

 

「君も綺麗だ」と、思っていたのに予想外過ぎる返答。

 

 形容するなら隣に座る男の子は、わたしの牽制(ジャブ)をねじ伏せる右ストレートを放った。

 脳髄が沸騰する。まずい。早くファイティングポーズを取れ、私。早く返答しろ。今までのナンパな対戦相手ではない。彼はわたしをねじ伏せるに十二分のチャレンジャー。早く攻撃しなければ、わたしはねじ伏せられるぞ。

 

「もしかしてナンパ・・・・・・?」

 

何とか視線を彼に移して返答した。彼はチラッとわたしを見て、きょとんとしていた。何を言っているのか解らないといった顔だ。

 

「本当の事だけど?」

 

「――――クゥ!」 

 

・・・・・・ゴングが鳴り響く・・・・・・一気に頭の天辺まで血が昇り、爆発した。

赤い顔だと自分でも解っているので背けた。どう見ても彼はわたしと歳が近い。それなのに何故、一〇歳そこらの子供のような純粋さで、こんな言葉を言えるのだろう?

芝居じみた演技と言葉の装飾は聞き飽きていたけど、彼はどうだ? まったく言葉を選ばない。芝居も無し、演技も皆無で垢だらけの装飾すらも無い。素直な気持ちを言葉に置き換えて、わたしに向けている。これは不味い。非常に。

 

「それより、大丈夫? 顔が赤いよ。もしかして風邪?」と、彼は全く予想と真逆の言葉を投げ掛ける。天の救いと思い、わたしは相槌を打った。

 

「大丈夫よ。でも、そうね? 今日はもう帰ろうかな?」

 

「ああ、その方が良い。途中まで良いなら送るよ?」

 

「大丈夫よ。家はここだから」これ以上、頭に血が上がるとどうにかなりそうで、怖いとは言えない。

 

「それじゃ」言って、立ち上がる。この場から逃げ出せるのに、後ろ髪を引かれている。何より、客観的に本当に、こんなに弱々しい自分が信じられない。

屋上のドアノブに手を掛ける前に振り返る。また、合うために。

 

「また会いましょうか?」

 

 あえて、名前を聞かないし、名乗らない。あちらが先に私の名を聞くまで。一種の意地で挑戦。今夜、安っぽいプライドが自分にもあると発見した。

 

「もちろん」

 

 月光を浴びた彼は、微笑んだ。本当にどうしようもなく、素敵だと思った。

当たり前過ぎる普通の笑顔が私を通して特別、綺麗になる。私はドアノブを回して屋上を後にする。次に会ったときのために準備をしよう。あの不思議少年と話す時は、肩肘張るだけ無駄なのだから。

 

 

 

 ちょっと『変』な女の子と別れたおれは、その後はまた飛び回る。コンクリートジャングルを疾走する一匹の猿だ。だが、時間を忘れてしまったため、気付けば門限破りの上、初めてやった朝帰り。スズメのさえずりと、牛乳配達と新聞配達の人と家の前で挨拶を交わした後に、玄関の音を立てないように開け、滑り込むように家に入る。しかし、おれの目論見などは真神家の全てを預かる、妹の前には何の価値も無かった。

美殊が腕を組んで立っていた。それもにっこりと微笑んでいる。

 

「おかえりなさい。誠?」

 

 物凄く朗らかな微笑みだった。しかし、おれには死神が優しく、痛くしないように命を刈り取るような笑顔に見える。

慈愛と献身の精神を持っても、所詮は死神。結果は全て同じこと。

 しかも、おれを兄さんではなく、名前で呼ぶ。不味い、マズイって! 殺られる! ヤダよ! 死にたくないって! 去年美殊の誕生日をすっぽかした時と同じだ。

笑顔とセリフに、おれは肉食動物におびえる小鹿よりも、情けない悲鳴を上げていた。

ヤダよ、あの仕打ちははっきり言って嫌過ぎる。

 

 

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